ミニミニ自分史gansan



1936年(昭和11年)三男として和歌山市のかた田舎に誕生(正午に生まれる)。4才の時、生死を争そう大病にかかり寿命があったのか一命を取りとめました。その後小学校、中学校と進みその間小学2年生の時敗戦、食べることに両親が苦労していたことが思い出されます。

義務教育と高校教育がが終わり、大学進学するか就職か−−−、gansanは兄2人・弟1人・妹2人の3番目、上2人は大学生で下3人も中・小学生でした、父親は百姓しながら働きに行ってましたので学費に余裕はなく一日も早く働き親を助けなくては共倒れになりますのでgansanここで考えました。人生は教育ばかりではない、社会に出て技術を身に付け人に使われるのではなく、いつか独立して人を使う身になりたいと心に決めたのがgansanの人生の分岐点の基準になったような気がしております。

1955年(昭和30年)大阪泉大津市の毛織会社の染色課に就職、その間結婚、1970年(昭和45年)脱サラ、サラリーマンとして決まった給料をもらって10才を頭に3人の子供と妻を養うのに金銭的には問題はなかったのですがここで会社を起こすことに決断しました、失敗すれば人生は破滅−−−、誰にも負けない健康・技術・努力があれば必ず成功してみせる、西岡染工株式会社(資本金200万円)で開業。

会社経営時の思い−−−、私にとっては三苦、一喜(脱サラ、会社を起こす、会社を廃業の三つの苦しみ、一つの喜び)でした。この一喜は会社を理想の廃業に導いたときが私にとって最高の喜びでした。約20年間の会社経営で苦はあれど、喜はありませんでした、経営者は孤独に耐えることが条件の一つと思います。無邪気な子供のように一つのことに集中できる”心”が会社を起こす源になっていると思います。

資金はどうにでもなる?。一に努力、二に努力、三、四がなくて五に努力することで可能になりました。会社を起こす時期は景気の悪いときを選び経営者のお金に対する感性を養う、この時期に会社を起こされた経営者はなんとなく野性的に感じます。

私の経営哲学は、”限界に挑戦すること”が経営の”ガン”(良い意味での)と思っています。”限界”とは体力、知力、人脈のすべてを最大限に活用すること。”挑戦”とは限界のすべての活用を”努力、忍耐”によってプラスアルファ−を生みだすこと、プラスアルファ−で他の経営者との差をつけ、自我満足と次の挑戦へのエネルギ−となるのです。

以上の経営哲学は時代が変われども、変わることのないことを私は信じています。私は過去を振り返り自分の人生に曲がりなりにも”限界に挑戦”できた喜びを今かみ締めています、1990年55才でした。それから2000年迄、10年間泉大津の染工場に技術者として勤めました、2001年(平成13年)現在はシルバー会員に登録して軽職(アルバイト)行っています。現在最高の趣味はパソコンです、若者とのインターネット上での交流、ホームページを持ちWebに挑戦しております(パソコン暦5年)。



現役当時受賞した賞
科学技術庁長官国務大臣賞
大阪府知事賞
泉大津市市長賞
泉大津市商工会議所会頭賞
功労賞、等々。

2001.07.15 gansan(記)



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