春の鎌倉散策  【1】

2008年4月2日(水) 

鎌倉在住の友人に誘われ、横浜・藤沢にすむ住む二人と私の計4人で春の鎌倉を散策しました。

2004年秋に同じ友人とに萩見物に誘われ訪れことがあります。

11時に鎌倉駅前に集合。 鎌倉駅前の大勢の人出にまずびっくり。

鎌倉在住の友人の案内でまずは若宮大路へ。

鶴岡八幡宮に続く日本桜100選の一つ段葛の桜を見物。

その後大功寺妙本寺本覚寺と周り、駅前にもどりタクシーで鎌倉パークホテルに行き昼食。

午後は長谷寺へお参りし、長谷寺近くのベルグフゼルドでお茶の後解散しました。

  


碑文

段葛(だんかずら)一(いつ)に置石(おきいし)と称す 

寿永(じゅえい)元年(1182)三月 

頼朝その夫人政子平産(安産)祈祷の為め 

 鶴丘(八幡宮)社頭より由比海浜大鳥居辺に亘(わた)りて

之を築く その土石は北条時政(ときまさ)を始め

源氏家の諸将の是が運搬に従へる所のものなり 

明治の初年に至り二の鳥居以南其の形失へり

段葛の桜はまさに満開でした。

鶴岡八幡宮はその場にて遙拝し、

反対方向へ少し進み

大功寺へ。

若宮大路に大きな生け花の展示がありました。

丁度手直しに来た人がいて、友人の一人は華道を長年教えていますのでじっと見ていましたが、

感想はききそびれました。

  


大巧寺(だいぎょうじ)

もとは頼朝の祈願所で大行寺といって十二所にあったが、
頼朝がある戦いのときこの寺で練った作戦で平家に大勝したため大巧寺と改め、
1320(元応2年)に現在地に移された。
若宮大路に面した朱塗りの門のところに「頼朝戦評定所」の碑がたっている。
本尊は安産の神様とされる産女霊神(うぶすめれいじん)。550年前の室町時代、
 難産のために死んで霊となり人々を苦しめていた女の霊を当時の住職であった日棟上人が鎮め、
安産の神として祀ったことに由来する。
以来、安産の神として「おんめ様」の通称で親しまれるようになった。日蓮宗の寺。

この大功寺ではお庭にいろいろな植物が植えてあり、

また友人が良く知っているので、

つい花に見とれ、写真を撮り、説明を聴いており、

お参りは??? 

まっ! もうお産することもないし良いことに。

警察署の前にみまもり君が。


木五倍子(きぶし)

 
岩八手(いわやつで)丹頂草とも云う
 


利休梅


利休梅の全体
 


?


柑子(きんず)
 


きぼうほうひるむしろ


たんぽぽ(日本在来のもの?)
 

 大功寺の次に本覚寺の前を通り、妙本寺 へ。


妙本寺

鎌倉時代に比企一族が住んでいたことから、この辺りを比企が谷といい、そこに建てられたのが妙本寺。
山号は長興寺という。全国の日蓮宗寺院のなかでは身延山久遠寺、池上本門寺とならんで最古の寺。
「比企の乱」で北条に滅ぼされた後、京都にいて生き延びた能員の末子・比企大学三郎能本(よしもと)が、
一族の菩提を弔うために建立した。
祖師堂は建長寺の仏殿と並ぶ、鎌倉最大級の木造建築。
陀苦止堂には、比企能員の娘で鎌倉幕府2代将軍源頼家に嫁いだ若狭局が祀られている。

門を入ると直ぐ右手に幼稚園があります。左手は民家です。
  

    さらに進むと妙本寺方丈への門があり、

急な石段が続きます。

   

 
        そちらは避けて本堂への参道を進みました。

   

満開の桜が迎えてくれました。

桜の手前は海棠ですが、まだちょっと早いようでした。右は咲きかけの海棠です。
  

途中で見かけた桜の古木と、空洞になった大きなきの切り株です。
  

往きに通り過ぎた本覚寺へむかいました。

その途中です。

 


本覚寺

本覚寺は、日蓮宗の寺院で、日出上人を開山として創建された。
足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建てて日出上人に寄進した寺。
佐渡流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人は、
この夷堂に滞在して布教を再開した。
その後、甲斐の国身延山に入り久遠寺を建立し本格的に日蓮宗の布教を行う。
本覚寺分骨堂には、身延山から分骨した日蓮上人の骨が納められている。
本尊は釈迦三尊。

  

  

  

この後駅へ戻りタクシーで鎌倉パークホテルへ。昼食です。

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2004年のは 秋の鎌倉散散策 をご覧下さい。