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 社長は小野が帰ってからも上機嫌だった。大手不動産会社の定期の仕事が受注できたのだ。この業界は何と言っても飛び込みの仕事より、定期の方がありがたいのは言うまでもない。大手となると量があるので定期収入が見込める。それに不動産の仕事はタイトル以外は殆どベタ打ちである。詰めても1Hないし2H詰めで、旅行会社のパンフレットなどと比べると格段にやりやすい。旅行会社の仕事などは本文まで詰め打ちが要求される。オペレーターの詰め具合が気に入らないと、デザイナーが小さい級数でも一字一字切り貼りして詰め直したりする。
「これから忙しくなりますよ」と社長は得意げに言った。そうして
「相談ですがね、一台機械を遊ばしておくのは勿体ないので、もう一人入れようと思うんですよ」と言う。
 最近はこれからの方針などを、北原を越えて菊川に持ちかけることがある。北原と社長の溝は久保から聞いていた。と言っても社長の方は溝を埋めようと努力しているのが端から見ていても分かる。北原と言えば、他の者には気の好い先輩という話し方、物腰だが、社長に対してはどこか構えたところがあった。時には喧嘩腰とさえ思える時もある。二人でこなせないことはないと思えるようでも、仕事が少し立て込んで来ると、北原は一存で近所の田川という写植屋に外注する。
 五年前に秀英社の前身の俊英社が負債を抱え左前になった時、吉田が金を出し俊英社を買収した。そうして自分の名前を取って秀英社とした。田川は俊英社の創立者のパートナーだった男で、その時独立して近くで写植屋を開業したのだった。北原は田川から写植を一から教わり尊敬していた。当時のメンバーで残っているのは北原と川崎だけである。田川を交えた三人の交流は今も深く続き、時折三人で飲みに行ったりするという。
 川崎と社長の間には何のこだわりもないようだが、北原は、吉田が田川を追い出したという思いがあるらしかった。社長の方でもそれは感じるらしく、気軽に北原に相談しにくい風だった。それで今回も菊川が相談に与かったのだった。
「それでね、北原さんと菊川さんには出来るだけ写植に専念して貰って、簡単な修正打ちや原稿取りとか電話の受付などをしてくれる人を入れようと思っているんですよ」と言うと、社長は唾を飲み込んだ。
「まあ、経費の面でも女性の方がいいと思うのですが、どう思います?」
「そりゃ、そうしてくれれば僕らも助かりますし、北原さんも異存はないと思いますよ」
 社長はホッとしたように笑みを浮かべて
「それじゃ、早速手配しましょう」と言った。